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This Armor

古今東西何でも研究所

心が疲弊してゆく

宣言解除から一週間もしないうちに予見できたであろう事が明るみなる。
そんな事は判っていたし、驚く事ではないのだけどやはりそういった報道を観るだけで心は疲れていくものだ。

テラハの事もそうだけど、なんだか人の負の感情が一度に沢山放出されているようだし、そのエネルギーに充てられて余計に疲れる。

不平不満を言葉にしたところで何も変わらないし、どうしたものか。

そういえばテラハの一件では一般のコメントに責任所在地を追求する発言が増えたようだ。

もちろん誰かの命が犠牲にならなければそういう事に見向きも出来なかったのだろうし、皮肉と言う言葉で片してしまうにはあまりにも罪が大きすぎるとしか言えない。

同時にわたしもその一人である事を嫌と言うほど思い知らされる。

何もしなければ何も変わらないと言えど、こういうご時世だと言葉一つで命取りになるなんて珍しくないし、何とも息苦しいと感じる。

しかし功罪で考えてみてもはやり何もしない訳にはいかなくて、しかもその一部を切り取りそれを逆手にとった揚げ足取りが公然とした面で独り歩きするのだからやはり言葉も人の心も怖いモノだと思う。

一人の犠牲を無駄にしないという気持ちは判る。
だがその「正義感」果たして本当に正しいの?

中にはこの「正義」を振りかざして酔いしれ己を保つという目的のモノも存在するだろう。
それはきちんと切り分けなければいけない事だよ。

そうじゃなくて自分も無関係ではなく、自分自身何時そういった「被害者」や「犠牲者」なる可能性があるという立ち位置を忘れずに考えなければまた同じ事が繰り返されると何時になったら気が付くのだろう。

何もしない、見ないふりをする事って人が考えている以上に残酷で罪深いものだよ。

というより何も出来ないと言った方が適切なのだろうか?

わたしはあの一件の当事者ないから詳細は判らない。
同時に誰を責めるつもりもないが、こういう事ってどういう風になったら多くの人が納得できて、自身の肝に銘じるようにできるのだろう?

難しいね。

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