10年ぶりくらいにスライブを観たんだけど、あの界隈でよく成長とか解放とかいってるけど、何だか急ぎ過ぎてると思う。
もし万一あの界隈で言われるような開放があるなら、当面はそれを喜びと共に享受する時間があってもいい。
その時間を自分や他者との関係性を整理する時間と捉えてもいい。
その段階ですぐ次の段階と焦ったら早晩同じ事を繰り返す事が判りきってる。
そもそも成長とは何ぞや?と以前も書いたけど、本当ここだけは本気で理解出来ない。
というより理解したくない。
あらゆる意味において成長する事は必要だとするのは誰の為?
自分の為?
どういう意図で成長と言う言葉を強調したのか判り兼ねるけど、その焦りが新たな競争や選民思想を産み落とすと考えるべきではないか?
今必要とされているのはあらゆる負の感情とか執着を手放す事だよ。
離れると言ってもいい。
同時に共生と住み分けを考え直す事。
一括りに全ては一つとはいかないし、それを焦ったら再び争いになるのも目に見えている。
先ず開放→享受→整理→次の段階が妥当ではないだろうか。
人類の願いが本気でそれを望むなら今この瞬間に出来る事だし、それが出来ないのは未だに何も見えていない観ようとしていないに過ぎない。
同時に不信がそれをさせない。
信じるって難しいよね。
せーので武力蜂起となっても、相手が懐に何を忍ばせてるか判らないもん。
そういえばさっきカインとアベルの行も観てきたんだけど、何と言うか…
これはあくまでも私個人の見解と断っておくが、未だにそしてこれからも教義に依存する人はそこで思考が停止している。
あの人たちの言う王国やら世界統一政府なんていうのは権力者ありきで考えているようだし、そんなものありきで何が解放なのだろう?と疑問を抱く。
これは人間性の優劣や強弱の問題じゃないよ。
もっと言うなら人間本来の在り方をどう捉えるかであってそこに差異は存在しない。
さて、あの界隈で言うとこういう状態で行動に移せる人を目覚めた人と一部定義してるみたいだけどあたしゃそんな御大層なもんじゃない。
だってもう多くの人は判ってるでしょ?
このままいけば先がどうなるか、その裏で何が暗躍してるかもう判ってるでしょ。
物事には必ず因果と表裏があると言ってきた。
原因があるから結果がある。
その結果を招くのも原因から立て直せるのも生きてる人間にしか出来ない事。
今現在の境遇が嫌なら何かしら行動するかしないまでも、気が付いて静観するものアリだと思う。
わたしは後者なんだけど、その結果自分が淘汰されたとしてもその時は笑っていたい。
わたしの願い何ぞそんなもんです。
でも解放の名の元に幸福を享受できるならそれも味わってはみたい。
でもどっちでもいいの。
所詮なるようにしかならないからね。
こういう観点で見るとすれば成長なんて大した事じゃないよ。
精々人に優しく慈愛を以て接するくらいだし、それで十分だし。
何か物事全体全て制御できる状態が成長したとも思えない。
人類のもっとも愚かしい悲劇は時の権力者自らを律せず私利私欲に走った事だ。
ほなねー