某動画界隈では割と知られている配信者がおられまして、この方日本が好きで帰化までなさったらしいです。
ラモスが帰化した時もなんだか日本人以上に日本人らしい風潮がありました。
言葉にオブラートを被せてお話しますが、これはある意味フィードバックとか、逆輸入のような形で今の時代に改めて日本人らしさが問われているのだと考えます。
しかし中にはある作為によって帰化をする方もおられるので一概に帰化した人がイコール日本が好きで日本人より日本人らしいとは言えないと言っておきます。
それはともかく武士道ねぇ・・・
30年前に読んだときは理解出来ませんでした。
だって内容が欧米で言う道徳の規範に替わる趣旨だったので…
但し今ならその内容も判るような気がします。
けどね。
現代日本の何処に武士道があるの?と言いたいわけですよ。
誰も彼も利己利己利己で他人の苦痛や状況などお構いなしでしょう?
況してや義に駆られてなんて夢のまた夢にも思える。
11年の震災のときにやたらと絆絆言ってましたがあれにも吐き気がしていました。
おぞましく悲しい災害があってそれに対して思う所があったのはわたしも同じですが、何だか作為で絆絆言って、「こういう時だけ善人ずらかよ!」と思いました。
けれど秩序を乱す事なく(公には)順番を守ったり酷いけがをした人を優先するとかは本当に美しい振る舞いだと思った。
けれど当時の状況じゃ仕方がないにしても公の機関が絆絆は本当に思い出しても吐き気がする。
そんな音頭取らなくても多くの日本人が出来るだけ冷静に出来る事を探して悩んで苦痛を感じていたのに、それに対して安っぽいフレーズを連呼する姿勢は未だに許し難い。
それに日本人だからああいった振る舞いが出来たという意見は悪い気はしないけれど、民族関係あるのかい?
今回のコロナ感染者数でも同じような意見があるようだけど、控えめに言って危機管理の重さが違うという事じゃないのかな。
ここで利己が良い方に出たという言い方も出来るよね。
しかし実際のところわたしに判る武士道とは仁義や武士の情けくらいしか判りません。
仮名手本忠臣蔵のスピンオフのような物語に当時の将軍家宣と、松野廊下で浅野を抑えた梶原某の会話を思い出すがあれが武士の情けだと考える。
果たして今の日本人に武士道はおろか仁義があるのかすら疑わしい。
忘れてしまったと言えばまだ聞こえはいいが、要するに欧米だろうが何だろうが、便利で楽なモノを選んだ結果が現代日本であり、それを未だに欧米文化流入に責任転嫁しているうちは仁義も武士道もあったものではない。
士道不覚後と言う言葉があるがまさにこれだろう。
覚悟が足りなかったから現在懸命に言い訳を探している。
そんなうすら寒いのが今の日本の現状ではなかろうか。
翻ってわたしですが、傍から見ても自分で観てもそんな「立派」な振る舞いなど出来た例がありません。
言い訳が許されるなら「目一杯やってもダメだった」なんだけど、それらの事は未だに「あの時他に方法が無かったのか?」と考え続けています。としか言えません。
けれど目の間に居る人は全て己の鏡であり、明日の自分かもしれないと考えるようにしています。
そこに貴賤はありません。
犯罪者だろうが、お大尽だろうがです。
海外の方が日本のいろんな事に関心を持ってくれて、良く言ってくれるのは率直にありがたい。
けど勘違いもしないでほしい。
「あなた方が思い描いているほど日本人は誠実ではありません」と。
単に強いものに巻かれて弱いものを虐げているだけですとも。
その一方でこんな風にも考える。
例えば最もいい例が政治家なんだけど、彼等はある側面から観ると「哀れで滑稽」だという事。
だってそうでしょう。
結局常に出資者の顔色伺って本当は言いたくもない事を言わなければいけない。
けれどその立場が次から次へと媚び諂う振りをして利用する輩が後を絶たないのでしょうから。
世のお金持ち全てがそうだとは言いませんが結局お金の多寡がそれを決めてしまう。
それはテレビの報道や番組も同じで、スポンサーの顔色伺わなきゃ広告料という収入が減る、減るから製作費が減る従って本来作りたい作品も作れなくなる。
要するに現代社会は負の連鎖の中にあって、多分今まさにこの連鎖を断ち切ろうとしているのでしょう。
概ね日本人の悪習慣を論ってしまったけど全部が悪い訳じゃない事も承知しています。
だから諦めない。諦める事が出来ない。
武士道でも大和魂とかフレーズなんてなんでもいいし、必要もない。
応えは何時だってシンプル。
今目の前に居る人が自分自身であるかもしれない事に気が付いて。
それだけでこの世界は全く違った景色を見せてくれるから。
ほななん。