わたしにロマンチックな思い出はない。
裏切りと失望の繰り返しだった。
と書いてしまうと大袈裟に過ぎるが、概ね事実。
物心ついて数えられる程の順番で裏切りとか失望の記憶がある。
さらにこう言ってしまうと語弊があるので正確に。
裏切りではなく、人間の汚さを初めて目の当たりにしたのが多分4歳。
5歳の時既に母が母親ではない他の何かである認識を持っていた。
それでも母親というものを求める心と同時に。
この事が現在というより少し前の過去におけるわたしに大きな影を落としていたことに気が付いたのはつい最近。
それが良かったのか悪かったのかは判らないし、思春期の頃に既に認識していた他人の存在とその在りようを考えるにつけ、そこはあまり問題ではなかったように思う。
余に情操教育なるものがある。
わたしはこの部分がごっそり抜け落ちていて他人との認識に誤差が生じる事がある。
特に困る事は…あったのかなかったのかすら判らないが、たった一人だけそのすべてを覆してしまうのではなかろうか?という人物がいた…いる。
残念な事にわたしはその人と結ばれる事は叶わなかったけど、その人が今もどこかで生きていればそれでいいと考えている…が。
時々考える。
あの人と一緒に過ごす時間があれば今頃どうなっていたのだろうか?
全ての理屈を吹き飛ばしてしまう人。
そんな出会い一生に一度あるか無いかなのだろう。
わたしは多分その出会いがあっただけでも良かったのかもしれない。
わたしが考えるに一生の伴侶を計算打算一切なく選んで契りを結んで過ごす人は少ないのではないか?
魂の記憶やら、前世の記憶判らないけど無性に惹かれてしまう存在。
理屈をつければそうい事なのだろうけどその瞬間はそんな事考える事なく好きになって一緒にいたいと思い、その人の笑顔がそこにあるだけですべてが満たされ、乾いた心が潤っていくあの感じ。
これだけはどんなに金を積んでも感じる事が出来ない事を知った。
これと同じ事をもう一度望むのは贅沢というものだろうか?
贅沢云々よりわたしの心がそういう風に動く何かがまだ残されているのだろうか?
それは誰にも判らない事。
判らないから知りたくて行動をするのが人間というもの。
記憶をたどる毎に鮮明になっていく何か。
もう少しおやすみなさい。
君にはまだまだしなければならない事がある。