相対性理論のお話でありませんが、それに近いのかも。
今の十代の方が感じる時間の流れとわたしが十代の頃の時間の流れは多分異なります。
その理由は圧倒的な情報量の差。
現代社会は情報が氾濫している事で疑似人生を体験する事も可能で、その中には自分のキャパと照らし合わせてどんな道に進んでどのくらい出世してどのくらい収入を得られるか?までシミュレーションできてしまうご時世。
まさに相対性理論そのものかもしれません。
屁理屈は置くとして。
この時間の流れ、わたしが二十歳くらいの頃周りの大人によく言われました。
「二十歳過ぎたらあっという間だ」と。
はい。まさに仰る通りでしたよ。
楽しかった事ばかりではないしどちらかと言えば嫌な事の方が多かったのにこの有様でございます。
そして終活が近いお年頃。
終活もまぁ置いといて、この歳になって考えるのは年齢による経験は大事だが、年齢そのものによる序列はあまり重要ではない事。
歳を重ねても大人の振る舞いが出来ない人は沢山いるし、若くても大人の振る舞いをする方も沢山いらっしゃいます。
要するに人それぞれという事。
儒教の影響が未だ根強いのか日本は悪い意味での年功序列が残っていて、人間として人を見る事が難しいように思える。
だからと言って子供が好き勝手やるのも困りものだし、大人が好き勝手やるのはもっと困る。
後者の場合分別や利害が絡むので始末に負えない。
んで迷い迷って彷徨って一周回って人間てなんだろう?となるのが日常。
全ての価値を放棄した訳じゃないけど、それでもまだやれる事はあるはずで。
迷う事に慣れてきたと言ってもやはり迷いは辛い。
こういう時楽な方法を選択すると碌な事にならず現状が大きく変わらないのであれば耐える事にしている。
問題を片付けるにあたっていくつかの選択肢があり、最良なのはお互いに納得する事なのだが、それが決裂した場合は問題そのものを破壊するか相手を捻じ伏せるしかなくなる。
大人の話し合いをすればすり合わせる要因は必ずあるのだけど大抵の場合つまらないメンツがそれを阻害する。
まぁそういう事を繰り返していたらある意味そっちにリソース振っているのだから時間が早く感じるのも納得。
これらは現実の問題だし、スピは関係なくて終わった後でこの事から学ぶ事があったのだろうとか、自分に何らかの要因があって問題が表面化したのだろうくらいにしか考えていない事が多い。
嫌でも大人にならなければならない時は来ると言えど気付かぬうちにそれが身に着いて振り返ってみたらそれなりに振る舞いが身に着いていた。
それも時間の経過がそうさせたのだろう…という事にしておこう。
おやすみなさい。