こっちは割と現実的な事。
本来持っていた何かが目覚めるとかより、持っていなかった何かが芽生える。
0から1が産まれる事を意味するのだからこっちの方が凄い事だと思う。
語彙の問題故か感嘆詞が凄いしか出てこないのが歯がゆいけど、凄い以外の言葉が見つからない。
切っ掛けは何でもいい。
対象も何でもいい。
ただそれに気づかせてくれる促しがあるなら本当に何でもいい。
良くある話かもしれないけどそれまで好き勝手放蕩三昧で生きてきた人が子供を授かる事で芽生えるとかそういう事でもいい。
それが変化である事に変わりはないしね。
日本人に限った事ではないと信じたいけど、本来持っていた感情や思いやりとかが人の本質であると思いたい。
けど現実は本当に酷くて知ろうとすらしない段階で「とりあえず何か言わなきゃ」みたいな意見も目立つ。
多分そういう人って焦っているのだろう。
何も変わらない、何もできない事に。
けれど不思議な事に願っていればなのかハッキリ判らないけど、必然的にそちらに導かれる。
愛を知らないと言い張っていたわたしがその事を少し理解し始めた。
だからと言って急いでその何たるか全てを知りたいと思わないし、理屈で理解しようとしていない。
ただ流れに身を任せて感じるままに過ごしている。
もちろんここに至るまでにいろんな物事を手放してきた。
ここがちょっと時差ある。
人によっては瞬時に手放せることも出来るのだろうけど、わたしはそうはいかなかった。
だから手放そうと考えて出来るだけ忘れようと試みる。
そんな流れで忘れた頃?に思いもよらぬ変化に気づく事の繰り返し。
わたしはスピじゃないし、もし目に見えぬ何かで変化を求めるとすれば人や自然に沿った何かを通して観てきた。
だけどポノポノの意味と効能は今一つよく判らない。
効果が出ていると言えばそう言えるし、そんなの偶然だと言えばそうも言える。
それに手放すって容易くない。
特に記憶に対して嫌悪で刻まれた記憶は本当に難しい。
これらを「赦す」事だって生易しくない。
けど気づきはあった。
赦すのは相手ではなくて、己であった事。
そこに至った時ギフトとも言える「何か」が目の前に顕れる。
それはあらゆる事に対してだけど、考えてみれば本当に「何でこんな事に気が付かなかった?理解出来なかった?」と考えてしまうものだけど、それでもそれが「与えられた」ものであろうがなかろうが「赦し」そのものだったりそれに近いものだったりする。
それを思考で理解出来た時に少しだけど「満たされる」気持ちになれる。
書いてる本人が何を書いているのか何を伝えたいのか判っていない。
というより判る必要がない。
多分多くの人が辿るであろうプロセスで、それを理屈で説明出来ないのと同じ事だと認識している。
でも今なら少し判るよ。
目覚めと言う言葉に縛られずに踊らずに己の感性に従って、己が求めるままに感じていれば少しずつ判ってくるのだろう。
そのテーマがわたしの表現で言うと「楽しい」とか「ワクワクする」とかです。
誰もが一度経験した事あると思う。
子供の頃明日が楽しみで眠れなかった事。
そんな日々を取り戻すのではなくて、それが本来あるがままの姿。
で、多分だけどその原動力はきっと「愛」というものなのだろう。
愛なんて入力してるわたし自身がしどろもどろしている。
ほなね。