古今東西何でも研究所
言葉通りの意味です。
そこに説明は必要ありません。
が、しかし。
これに対し説明を要する生物が存在します。
それが「子供」です。
生まれ持った性格か、親御さんの躾が至らないのか知らないが、大人を怒らせる事を娯楽にする「クソガキ」が存在します。
若さに特権があるなら大人にだって特権がある。
赤い人の言葉を引用するまでも無いけど、もう一つはタイトルの言葉である。
子供の時分なら己の事だけを優先しても大目に見られるが大人はそうもいかない。
何時如何なる時も他の利益や権利を守らねばならないし、そうあって然るべきだと考えている。
ところが最近は大人になっても大人になり切れない人が増えたようで、それは一個人によるものではなく、時代や風潮がそれを助長している。
細かい事は面倒なので省くけど、大人になれない事が是とされる事自体が問題である。
その一つが法の機能不全と言えるが、功罪を巧く考えないから後手に回る、中毒症状に陥る。
それはそうだ。
一部の持つ者が己の都合のいいように法を拵えるのだから不都合が生じるのは判り切っている。
ここで民主主義とは何か?など語る必要はないのだが、かといって君主国家にもなれないこの国の行きつく先とは?
ネットの世界は賛否あるし、根拠が不十分で独り歩きしている陰謀論など珍しくもない。
だが、ふと頭をよぎる時がある。
明治維新よろしく新しいリーダーや勢力が台頭するのか?と。
ここがわたしの限界であり、無為無策を著している。
結局わたしも人任せかい!となって葛藤はする。
が、年を取って行動する事のリスクを負えない以上無責任な発言や行動は慎まねばならない。
そもそもわたしの考えている事自体が正しいのか?もそうだが、わたしが考えている事は正負で捉える物事であるか?の段階。
だからと言ってイニシアチブをとって行動する気にもなれない。
それは従前申し上げているように現代人にその価値が無いと踏んでいるから。
少しでも希望があるなら…とも思うのだが、そこに理由付けを必要としている以上やはりこれが健全とは程遠い考えである事に気づく。
生きていたくない訳でも死にたい訳でもない。
要するに逃げたいのだ。
書いてて訳判らなくなってきたのでこの辺で。
続きはまた。
ほな。
幼い頃から人一倍傷つきやすくナイーブな性格だった故か人の言葉に敏感に反応する。
大人と言われる年齢になり相応に振る舞いも身に着いた今ではその反応を表情に出す事は滅多にない。
人の言葉って功罪があり、人を傷付けるとか貶める言葉は嫌と言うほど溢れかえっているのに人を活かす言葉は絶望的に少ない。
同時に頭がオーバーワーク気味の時など人の言葉など耳に入らないし、邪魔ですらある。
「君の為を思って言ってる」とかそれなりに本当なんだろうけど、その場では受け入れる事なく、後に振り返ってあの言葉の意味を知る事数多。
けれどそこに魂やら真心のようなものは存在したのだろうか?と疑う事も多い。
所詮自分の人生だから過不足なく納得できればそれでいいのだけど、最近になって考える事は人と関わるには言葉は不可欠だが巻き込む事を怖れてはいないか?だ。
猜疑や不信が為せる業なんだけど、何らかの関係性を持つ事が利害に繋がると考えて躊躇ってしまう事が増えた。
これはある意味社会性の意味合いにおいて理性的な考えでもあるかもしれないのだが、お互いの信用を担保するために繋がりを持とうとする事自体が人をして人を足らしめざる要因になってはいまいか?
例えば一朝事が起きた時に自身の信用や弁護をさせるために関係性を築くのか?と考えると本当に嫌になる。
んで結局のところ「君の為を思って」の行だが、生きている人間が放った言葉でそれが事実だった事は一度も無かった。
そんなお為ごかしより率直な利害を説いてくれれば載るのに、わざわざ「善人」の仮面を被るから面倒な事になるのさ。
歴史上の人物が遺した言葉に価値はあれど、生きている人間、生きるために偽らなければならない事は承知だが、そこに誤魔化しがある以上その言葉には意味や価値が無い。
だったら誤魔化さずストレートに言い放って頂いたほうがよほど楽なのさ。
学ぶどころか学ぼうとすらしない人が多い現在にあってはここで書いている内容もあまり意味を為さないだろうし、別に残したいという事でもない。
なんとなくぼやいているだけだし、時には感情も…と言う程度の事。
要約すると「己の頭で考えて判断しなさい」で済む事なんだけど、説明を要するのは内容を知らなければ理解を得る事が難しいとなるのだが、それ以前にそれ自体を理解する必要がない事が問題なのだろう。
ほんの少し時事ネタを引用すると、あらゆる犯罪報道がなされているが、その中に多数「やったもの勝ち」とか「秩序を無視すればやりたい放題で快楽も金も得られると」言わんばかりで短絡的なモノが目立つ。
それは現実であり事実ではあるのだけど、それを以て人間と言えるのだろうか。
徒然ぼんやりそんな事を考えてみた。
ほなね。
何やら女優さんの違法ドラッグで世間が騒がしい。
わたしとしては彼女はとても才能が有って面白い女優なので、私生活の乱痴気など「芸の肥やし」としてもいいと思う。
が、昨今何かと違法行為に対し手厳しい監視下にあってはそうもいかない。
けれど一連の逮捕やら炎上騒動を観ていると「ポリコレ」ではなく、正義を笠に着た「嫌がらせ」「ハラスメント」ではないのか?とさえ思えてしまう。
裏を返せば本人に対する羨望や嫉妬、或いは抱えている不平不満のはけ口ではあるのだろうし、ああいった職業の人はそれが「芸の肥やし」でもあり、
ある種「有名税」でもあるのだろう。
さて。
とある検索サイトには事件に対するコメントが氾濫している。
今回の騒動だけではないが、こういった違法行為に必ず付きまとう「違法薬の入手経路と売人の解明」とか「売人の氏名を公開しろ」という論調。
ここに関しては同意見ではあるのだけど、問題は「個人情報保護法」がここでネックになって機能不全を起こしている事だ。
法曹関係者や公務関係者といった守秘義務を課せられ、不履行=懲戒処分や懲戒解雇に直結している方ならご存知かと思うが、あくまでも個人の情報を第三者に開示する事は原則できません。
何故か?それが「個人情報保護法」の骨子だから。
と言ってもこれは骨子の一部であり、事件解明には何ら抵触していなくて、捜査する中で関係者と思しき人物の名前が上がれば否応なしに関係者が「事情聴取」や場合によって「参考人」「重要参考人」として任意同行します。
この時点ではあくまでも任意ですが、供述内容に抵触行為や事件の核心に触れる場合裁判所に申請して身柄を拘束する事になります。
さらに聴取を受ける本人が明確な犯罪を自白した場合「逮捕状」を請求し、身柄と書類が送検されて必要に応じて「起訴」となります。
まぁこういう事情があって、誤認であろうがなかろうが「逮捕」と言う事実が残れば本人の利益を侵害し、裁判沙汰になります。
なので「個人情報保護法」自体は間違ってはいないのだが、麻薬やら違法ドラッグを防ぐ意味において法が壁になって周知出来ない事に対して違和感を覚えるのは無理からぬお話。
この手の事件の容疑者は「一人楽しむつもりだった」とする事が多いようですが、彼女のように運転しながらいけないお薬を服用していた場合は一人の範疇を遥かに超えてしまい、これも味方によっては「危険運転」であり、周囲の知らない誰かを巻き込んで傷付け最悪の場合死に至らしめるのだから、やはり「他人事」として自身とは「無関係」とするのは問題なのだ。
その無関心、無関係が知らない誰かを傷付け心に深い影を落とすとするなら、やはり他人事として冷たいとするのもある意味罪ではないのだろうか?と考える。
お堅いお話でしたが、考えて行動に移さなければならない事は尽きません。
ほなね。