古今東西何でも研究所
わたしは先人の叡智が凝縮されているであろう言葉が好き。
中でも「愚者は経験から学び賢者は歴史から学ぶ」
これ誰の言葉か知らないけど、この言葉には重みがある。
歴史とは人が紡ぐもの。
そこから生まれてくる言葉には本当に重みがあって、いつも凹んだ時や失敗した時に次に向かう糧をくれる。
経験に勝る知識なしとは言うものの先人が遺してくれた遺言とも未来への真言ともいえると思うのだ。
それは哲学者であろうが市井の人の言葉でも同じ事。
そして形も問わない。
それが映画のセリフでも歌の歌詞でも。
先人達は悠久の過去から微笑んでわたしたちを見ていてくれているはずなのに、その事に気が付かない人も多いのではないか?
未来へ向けたギフトなのにね…
人は失敗から多くを学んで人間性を深めていく存在。
学びが全てではないけど、痛みを伴ってでも学ばなければいけない時があって、それは往々にして苦いものではある。
わたしが失ってきたもの、探してきたもの。
探し物の答えはもう少しかな。
失ってきたものなど数えきれなくてもう考えたくもないのだけど、己の過去も同じ歴史の一部。
違いがあるとすればそれはきっと立場とか認知度。
何者にもなれないと諦めていた。
けれどわたしの魂がそれを許してくれません。
何か語り掛けているようなのですが、まだまだ学びが足りず鈍感なわたしは己の魂の語り掛ける言葉が識別できません。
けど何か語り掛けているという事を感じられるようになっただけ随分マシになったと感心する。
それでも…わたしの探し物は大き過ぎて全体を見るにはもっともっと離れないと見えないみたいだ。
何だかスピに傾倒に見える文面ではあるのだが、これはわたしが今までの経験や歴史から学んできた事実。
人間は死を以て全ての終わりとする方もいるようだが、どう考えてもそう思えないのだ。
今この瞬間考えている事や意思や、恣意が脳機能の作用とするには無理がある。
魂を引用する理由はそれが最も形容し易いというだけ。
もしかしたら魂というなんらかのエネルギー体を表現する語句は他にあるかもしれないし、これから新しい造語が生まれるかもしれない。
だから現時点では魂と表現している。
心と体以外に己の本体とか本質を表すものが魂だと考えている。
まとまりないけど、ほなね。